poco a poco

中二から統合失調症を抱えて〇年目。

面でのつながり、線でのつながり

家庭問題について書き始めると逆にストレスが溜まることになるので、また全然違う話。

 

複数の女性がカフェやレストランで向き合いながらスマホをいじっている光景ってよく見ますよね。このことについて、以前書いたレポートを上げてみます。

 

彼女らは、目の前に居る人間との会話やコミュニケーションよりも、スマホを使い他の友人とのコミュニケーションを楽しんでいるように見てとれる。

現代人は面での触れ合いと同様、もしくはそれ以上に、線でつながることを重視しているのではないだろうか。

 

少なくとも目の前で携帯いじりをされた相手が良い思いをしないえあろうことは「誰にでも」推測できると考えられる。

しかし、「空間を共有している他者」よりも「携帯を媒介として接続している他者」を優先する者は多い。

その上不可解なことは、そのような人は自分が携帯をいじることで、線でつながることを優先していることや、面で触れ合っている相手を軽視していることに気づいていない場合が多いことである。

実際に携帯いじりをされたことで「傷ついた」「不快になった」などと友人に言われても、腑に落ちない反応を示すのだ。

そのような人たちは、携帯が媒介する「親密さ」のもろさについて理解しているはずなのに、そのもろい「親密さ」を過度に重視している。

さらに、その「親密さ」のもろさにも程度があり、メールよりもLINEやSNSの方がよりもろいツールであるにもかかわらず、後者を会話よりも重視していると言える。

時差氏に、メールは相互の情報・意見のやりとりだが、LINEやSNS上でのやりとりのほとんどは誰とでも話せる軽い話題につれてそれとなく触れる程度であり、深い関係を築くことをそもそも意図せず使っていると考えられる。

例えば、仲良くしたい相手にLINEのIDやフェイスブックを利用しているかどうかをたずねる行為は、連絡先を交換する行為に比べ、気楽に行うことが出来るだろう。

その気楽さは、時間の共有や即時性がもっとも重視されるような、もろい「親密性」でも構わないと考えていることが前提にあるのかもしれない。

LINEやSNS上でのやりとりに義務・強制性が発生するのは、いうまでもなく、それらのやりとりにおいて時間の共有や即時性が最も重視されるからである。

つまり、電話を用いるコミュニケーションで得得る接続の確信ないしはっ共鳴の代わりに、時間の共有ないしは即時性を求めることで、「つながっている」ことを「実感」している。

しかし、文字でのつながりには距離の気楽さがある分、行き違いや誤解が生じる可能性が高まる等のリスクも大きい。また、文字でのコミュニケーションは「声」というリアリティがない分、より関係性を築いている「実感」が欠けているといえる。

このように文字でのつながり、すなわちLINEやSNS上でのやりとりはさまざまな問題を引き起こしうる危うさを含有しているにもかかわらず、人が無意識的に「空間を共有している他者」よりも「スマホを媒介として接続している他者」を優先するのは、面接忌避ないしは表情を伴う顔の敬遠の為である。

この「空間を共有している」事実自体が面している相手との共通の「実感」、面での触れ合いを最低限行っていると考える論拠となっている。

線でのつながり、つまり、時間の共有ないしは即時性を求めることで「つながっている」ことの「実感」をより重視する新たな関係性の築き方が主流になってきたと同時に、面での触れ合いを無意識的に軽視する、すなわち、「空間の共有」の有効性を過信する傾向が強まっているといえるのではないだろうか。

 

「実感」が薄いつながりであるからこそ、時間の共有・即時性を求めることで「実感」を得ようとしてしまう。

LINEやSNS上でのやりとりがやたら長引いてしまう・終わりが見えないことには、そういった背景があると思います。

私は近距離の1対1、2対2なら問題なく・思考がショートすることもないのですが、1対多はダメです。たぶん「見られているどうしようやめてしにたい」モードに頭が切り替わってしまうんだと思います。思考がショートします。

そういった意味でも、私自身も文字でのつながりを好むタイプなのですが、かといって目の前に人がいるのにスマホいじりはどうかと思うなーと。そもそも「無関心です」って言っているようなものではないかと思ってしまう。

旅行に行って、最初は皆でキャピキャピ話して盛り上がっていかにも「リア充」「仲間内で楽しんでます」って感じなのに、しばらくするとそれぞれがスマホをいじり始めたりってよく見る光景ですよね。

おいおい「仲良しグループ」じゃなかったのか?もうお互いに飽きたのか??って。

いや写真をupしてるとかだったらわかりますけど、そういう子たちって大体別の子とLINEやったりしてるので、おいおいお隣の子は放置なのか?って思ってしまう。

いやお互いにお互いを放置しているので問題はないんでしょうが。

 

私は、「合わないな」と最初からわかってる人とはコミュニケーションとろうとしないタイプだし、人間関係作りには超消極的ですけど、それでも人前でスマホいじったりはしない。相手に失礼だと思うから。

でもこの相手に失礼、っていう考え自体も誰もが共有しているわけではないみたいですよね。どちらが多数派なのかわからないので、何とも言えませんが。

やっぱり、苦手とはいえども、ある程度は面でのつながりも「適切に」行わなきゃいけないと思います。

店員に接客してもらわなきゃならない時には、一応それとなく会話するようにしているし、ゼミの時もちゃんと対応するようにしてます。

スマホいじりって「自分の世界にこもる」ような私的な行為だと思うんですが、それ故に公の場では控えるべきじゃないですか。ゼミの時とかに休み時間になった途端スマホいじり始める子たち見ていると、おいおい隣にいる前にいるお友達のことは放置なの?と思ってしまいます。

つまり日常茶飯事として友人同士無言でスマホいじっている、そんな子達に対して違和感を覚えてしまうんですよ~って話でした。

 

ごめんなさいこのブログ、情報発信というよりは、自分が考えていること・知っていることを好きなように書き散らす雑記帳なので。

こんな感じの記事と、障害系の記事と半々くらいになるかなーと思います。愚痴はあんまり書かないようにした方がいいのかな。

こういう障害の人、というか「困った人」がどういう背景を元に出来上がったのか、何を考えているのか、ていうことも発信してみたいと思ってはじめたものなので。

金曜日は面接があるので、またその時には面接についても書いてみますね。

障害者の採用に意欲的な企業(というより福祉などのサービス提供している法人だけど)の実態についても書けたらなあって思ってます。

あんまりいろいろ書いて特定されたらどうしよう?とか思わないでもないんですが。。

その法人さんは、すでに精神の方の採用実績もあるようなところ、今後もバンバン障害者雇っていきます方針を明確にしているところなので、他の精神は御免なさい企業とは違う部分もあれば、「本当のノーマライゼーションといえるのか?」と疑問視しなければならない部分もありそうな感じです。。

センターについても詳しくかければいいんですけど、特定を恐れて何もかけてないw

どうなんだろう、センターについても書いた方がいいですか。期待しないほうがいいよとしかいえない。

読んでくださってる方々にとって有益なブログにしたいという思いはもちろんあるのですが。。難しいですね;

またこの後もう一つ上げます。

 

 

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