GWを終えて
お久しぶりです。一週間に一度更新できたらいい方、という残念なペースになってしまっているせいで、仕事をしながら感じたことを伝えることがなかなか出来ないのが歯がゆいところです。
それもこれも、生活リズムを整えるのが学生生活なんか目じゃないくらい大変だからなのです。
まず、6時前の起床。これ自体が大変ハードルが高いわけです。夜型なので。
バーっと朝食を取り、化粧をし着替え、電車に乗り込む。7時過ぎの電車に乗らないと、8時半に仕事場に到着するのが困難になるのです。
おかげさまで、11時までには風呂を済ませ、12時までには寝る、そういった生活を強いられます。
現時点では、毎日定時退社しているため、7時頃に自宅に着きます。夕食をちんたら取ると1時間程度かかるため、8時から10時までの2時間しか自由時間がないのです。
通勤時間を有効に使えばいい話なのですが、残念ながらツイッターやラインに時間を取られ、少しでも余裕があれば寝る!というスタンスを取っているため、読書もできていません・・・。
2時間以内では、ツイッターとyoutubeしか手を付けられず、なかなかブログにまで手が回らないですね。日記もつけられていません。
昔から時間の使い方が上手じゃないものですから・・・
とりあえず、障害者枠での就労について 書きたいと思います。
・「障害者枠」つまり障害者であることをオープンにして働くということ
難しいですね。
先日書いたように、職業センターの方に先週の金曜日相談に行ってきました。ここでも色々なお話を伺ってきたので、そのことも交えて書きたいと思いますが。
「障害者」であるがゆえに、配慮してもらえる。
それはいいことなのか。
やはり物事には二面性があります。いいことばかりなわけはない。
まず、私の勤め先のように、「配慮をしてくれる」会社である場合。
➡「障害者だから」最初から期待をしない。軽作業中心、誰にでもできる仕事を任せる(失敗しても困らない)。何かがあっても「まあ仕方ないか」と。
障害者と一括りにすること自体がおかしいんですよね。そのことを最近やっと理解してきました。
まず、身体障害者の方は、「できないことが当たり前」であると当人も思っていて、自分は障害者だからここまでやればいいよね、というような線引きをしていたりします。健常者ほどの社会性が求められないんですよね。
問題のある言動も、目立たなければオーケーなんじゃないでしょうか。ある程度のことは、まあ仕方ないねで済まされます。何か問題がある言動をしても、当人を責めはしない、そういう姿勢なのかもしれませんね。
障害者枠の窓口、担当者がいれば、その人のところに話がいく。そういうシステムにうちのところはなっています。小規模な会社さんなら、もう少し違うやり方を取るかもしれませんが。
同じ障害者だと思ってみても、まあ目に見えているわけですから当たり前なのですが、「障害の中身が一目瞭然」なので、できること/できないこともハッキリしています。
できることはきちんとやってもらうし、できなそうなことは「できる?」と訊いてからやらせる。そういう感じなんでしょうかね。
でも、精神は違います。
当人も、自分のできること/できないことの区別はなかなかつけられないし、実際に働いてみないとわからないことだらけです。
私も未だに自分が何ができて、何ができないのかはよくわかっていません。なぜなら、「健常者は何ができるのか/できないのか」が分からないので何とも言えないんですよね。
たとえば、精神の人は「ふつうの人より疲れやすい」といいますが、それが本当なのか、誰にもわからないですよね。
私も、人と比べて「おかしいらしいぞ?」と思うところは多々ありますが、それが障害者の特性や症状なのかどうかはよくわかりません。
目がおかしいとか、記憶障害があると何となくは理解していても、人に説明できるほど、自分のことなんて理解できていない。医者に説明してもらいたくても、まず医者に理解してもらうのが難しい。
だってね、医者なんて「ああ~この病気の人ならよくあることだよ」しか言わないから。
目がおかしいってことに関しては、なんとなく離人症なんだろう、みたいな判断だろうし、記憶障害もまあよくあるよくある、って流されました。
でもね、それは精神障害者にはよくあることでも、健常者にとってはちがうでしょ。だとしたら、それはある意味精神障害者の特性とかになるのだろうし。
そもそも、精神障害者の人がね、「精神障害者の特性」をすべて理解しなければならないのか??っていう話になっていくのでは。
就職活動をしていれば、面接や面談なんてものは多々ありますね。いや就職してからも、具体的な症状とか訊ねられることがあるかと思います。
そういうときに、「自分の症状を理解しているか」って一つの鍵になるわけです。「調子が悪くなる時にはどういった前兆がみられるか」とか。
でもさ、それこそ精神障害者にとっての一般論みたいなものを理解していなければ、これが私の症状/特性ですなんて言えないわけですよ。
つまり、自分のことを表現してみてくださいっていわれたら、大体返答に困るでしょ。でも、そういう時に、大体の選択肢がわかっていれば、「自分はこれに近いかな」とかって選ぶことができる。この方がよほど簡単。
精神障害者である限り、精神障害者の特性まできちんと把握していなければならないのでしょうかね。
そういったこともきちんと把握していたり、例えば自分の症状にどう対処しているのかきちんと説明できたりする方が、断然評価が高いことは言うまでもないですがね。
ある意味、普通の人よりも高度なことを求められているのかも分からないですね。
まあ、つまり、身体や知的の方々は、だいたいこんなもんだろう、が通じるのかもしれないし、最初から期待なんてされていないのかもしれないですが。
精神障害者は、健常者に近いので、なるべく健常者らしいふるまい・能力が求められるわけです。
まあ頑張れば頑張るほどお給料などの待遇もよくなるはずなので(健常者のそれに近づくはず)、頑張ることは必要です。
でも、精神なのに社会性も求められて、「それなりに」やらなきゃ!って肩肘張っちゃうと、結構しんどいですね。
これ、クローズドで働いたら当然のことだと思うので、一つの修行だと思って頑張ってますが。
集団行動ニガテ!そんな顔したら「ああ・・・」て残念がられるのでアウト。どこへ行っても笑顔を作れるくらいじゃないとだめです。
なので私も金土は研修行ってきます(いやすぎるすでにいきたくないけどね)
バイトもやっていたし、サークルもやってました!
それくらいはサラっと言えないと、「仲間」には入れてもらえないです。
「仲間」に入れなくても平気!ていうくらい我が強い人なら大丈夫だと思うのですが、周りを気にしちゃう、人目が気になっちゃうタイプの方なら、「仲間」に入ることは大事です。
身体の方は、どうしても「自分は障害者」という強い意識を持っている人が多いようで、配慮をしてもらって当然!みたいな権利意識も強いみたいなので、なかなか「仲間」には入りにくいようですね。どうしても、配慮「してもらう」側に立ってしまうみたいです。
これだと、対等な「仲間」にはなれないですね。それでいいんでしょうけど。
私はそういう風にスッパリとは割り切れないタイプなので、協調性をアピールしなければとがんばっているところです。
アルバイトもサークルも、ゼミも経験してきているのでそういった集団における適切なふるまいもある程度は心得ていることも功を奏してますね。
多少失敗してしまったり、うまく立ち回れないことがあったりしても、協調性をアピールしたりしておくことで、「それなりに頑張ってるもんね」と人となりを認めてもらえるのではないかと。
職業センターの方も、社員なのに「配慮してもらう」のが当たり前でいると、周りが配慮していてもしょうがないな、当人が成長しなければ、との考えを持つに至った場合に、うまくいかなくなる。だから、人となりを認めてもらうことが大事だとおっしゃっていました。
ふーむ。難しいものですね。
自分でも、まだクローズドで一般の人と一緒に「社会人」をやるのは難しいと分かっているので、今はまだオープンで配慮をしてもらいながらの社会人を経験していこうと思っています。
もう少し違うところでも闘えるぞ、と思える、それだけの社会人力がついたら、クローズドで一般企業への転職も検討したいと思っていますがね。まだまだ遠い道のりかもしれないですね。30までには、落ち着くところに落ち着きたいなあ。
友人の話によれば、すでに社会人をドロップアウトしてしまった新卒もいるみたいですね。さすがに1か月はちょっとなあ・・・もう少し粘れなかったものかと。
たぶんそういう人は、もともと無謀な挑戦だったんだろうと思います。やっていける会社かどうかの見極めをきちんとしないと、そういう結果に陥ってしまうんでしょうね。それは当人の努力・実力不足でしょうから。何とも言えませんが。
私は、ここならやっていけるだろう、と思えるかどうかを企業選びの軸にしました。今のところそれが良い選択だったと言わざるを得ないんだろうと思っています。社会人はやはり大変ですから。
自分が潰されないというのも、非常に大事なことです。
症状を抱えながらの学生生活、サークル、アルバイト、ゼミ。ほんっとうに大変でした。死にたくなることしかなかった。
でも、それをどうにか乗り越えてきたからこそ、まあそれなりにやっていける自分が作られたのだと思います。1年前の自分と今の自分を比べたら社会性の項目において、得点差がかなりあるのではないかと。
こういう死にたくなるような壁を、しにたいしにたいと騒ぎつつ、少しずつ乗り越えていけば、いつかはそれなりになっている・・・と信じたいですね。
まだ負けられない。
私、トラウマが結構深刻なものになっているようで。
中学の時のあのアホたちに負けたくないって思いが強くあるんですよ。残念な不登校生って見下されたくない。
ずーっとその一心でやってきました。アイツらに笑われるような人生でどうする、って。
でもね、今、その原動力を失いつつある気がします。
自分は今何と闘っているんだろう。勝ち負けなんて気にせずにとっととしんじまえばいいのにって。
うちの場合は、家族がオワコンなので。
父親もその母つまり祖母も、姉もみんなオワコン、で、母もバカだし。
なので、縋れるところがないんですよね。帰る場所がない。別にしんだって誰に迷惑かかるわけでもないって思ってるし。まあ、死んだら今の会社とかね、大学とかね、アルバイト先とかそういうところに迷惑かかっちゃうな。それは申し訳ないなあ。それくらいです。
でも、やっぱり他人に迷惑かかっちゃうくらいなら、迷惑かけないでしんだほうがいいし。だとしたら、仕事はまずやめてからじゃないと。仕事をやめるっていうくらいなら、まだやろう。
そんな感じです。
仕事辞めます!!!!!!!って言えるくらいのパワー?があったら、その時は考えるかもしれないですね。
追い込まれない限りは、いきるしかないんじゃないかな。
まあ、追い込まれるなんてことは何が何でも回避しなければいけないと思うので。そこは自己管理能力が問われるところですから。
そう、自己管理能力が問われるってことはつまり、自己管理は努力項目なんですよね。
努力でどうにかできるだろって言われているところはきちんとしておかないと。
なので、相談できる場所もつくっていかなきゃいけないし、今後どうなるのかも把握しておかなきゃならないし。そういうのは、今後やっていかなきゃならない課題なわけです。これ、前から言ってるよね?
記憶障害があるもので、もう前何書いたのかとか、何を言ったのかとか覚えていないのですが。
だからこそもう少しこまめにメモしておくなり日記をつけるなりしたいんだけれども。
というより、もう少し真面目に障碍者就労について語るはずだったのですが。
もう10時半になってしまいました。タイムリミットオーバーしてる・・・ので、ここらへんで。
誰かのモヤモヤを晴らせるだけの情報を提供したりしたくても、質問が無ければ答えようもないしね。皆さん何を知りたいんだろう。掲示板でものぞきにいって、誰かの質問に答えるしかないのかな。
また、最近のけーぽについても語れたらいいなあ~むずかしいかな。
それでは。いるかわからない読者さん、質問があればドシドシどうぞ。出来る限りお答えします。