poco a poco

中二から統合失調症を抱えて〇年目。

考えるのって楽しい

昨日は荒れてました。すみません。
Wi-Fiは無事繋ぐことができました。よかった。今までいくら損してきたことやら、恐ろしいですね。
しかも双方ともルーターのことを理解していなかったようで。まあいいや。あの二人が馬鹿なことは。

昨日はヒロくんとやらが初メディア露出してましたね。ごろーくんの友人らしい。
私も性に対する世間の目というものは少しずつ変わっていくべきだと思っています。
世論を作るのがマスコミの仕事となっている現状が維持される限りは、マスコミがどのように性を扱うかが鍵になるわけで。
マスコミが変わらない限り、世論も変わらない。そんなマスコミに支配されるというかむしろ操作されているような世論って一体…と思わないでもないですが、それが現実なので仕方ないですね。

操作されていること自体に気づけないようなレベルの人達に何を言っても無駄なんだろうなと思うので、諦めてます。


さて。
ホモソーが当然視されているメディア社会では、男根中心主義ジェンダー意識バリバリが当たり前であることが前提となっているので、
それを露骨に表示して、一部の人々から非難を浴びることがよくあります。
ルミネのCM炎上問題も、暗黙の了解であると考えられていたことを表現したら、なぜかバッシングをくらった、そういう話なんだろうなと思います。

ルミネのCMは1話しか見ていませんが、こりゃあ炎上するのも当然だな、との感想を抱く代物でした。まだ未視聴ならばぜひ見てみてください世間の人々よ。

主人公はなんというかザ、wearユーザー!って感じの服装。トレンチコートにボーダー、パンツの女子です。

もう一人の女性社員は、巻き髪、カーデ、スカート。
先輩社員(男)に、その女性社員と比べられ、「お前(主人公)は、需要が違う」と言われる。
つまり、巻き髪さんは会社の華(古い)で、主人公は…そうではないわけです。

そこで主人公が憤慨して、ふざけんなコノヤローとでも心の中でいえばいいものの、さすがルミネ。「最近、サボってた?」と最後にもってくるんですよ。

このCMのメッセージは、ホモソー大前提!男ウケするよう、女子力を上げよう!なわけですが。

女子力が低い=女子としてサボっている    わけですよね。

基本的に、「サボる」という言葉は仕事に使うと思います。
とすると、女子の仕事は、男ウケするよう、女子力を上げることだと考えているわけです。

まあ、いうまでもなく、ファッションの世界では、そういう考え方は自明のものだと思いますが。

それを露骨に表示してしまったがゆえに、バッシングの対象となりました。

自分のためにファッションを楽しもう!
そういうポジティブな売り出し方の方が人受けがいいのに、どうして会社の華なんて古い言葉まで出してしまったのか。
残念でならないですね。

こういうルミネのメッセージに、気づきもせずそんなもんだろ~と受け止めているふわふわ女子が嫌いです。 というより、他者志向的な考え方をする人は嫌いです。
浅いなあ、と思います。

先日、卒業式がありました。
県知事は、浅くて狭い水たまりではなくて、広くて深い太平洋のようになれ?みたいならことを話してました。
その時は思わず、太平洋wwと草を生やしてしまいましたが。

そのあと、とある先生からの祝辞では、
この学部で学ぶ中で、
われわれが学ぶ「正しさ」は、ある時代ある場所において「正しい」とされていることであって、
時代が変わる、場所が変われば、「正しさ」も異なる。
みたいなお話がありました。

国 人種  文化、そのような違いがあれば、「正しさ」も違う。「正しさ」はいくつもあるのだということを学んできたはずだ。
いろいろな「正しさ」を学びつづけてください??

みたいな感じの。

残念ながら、何かを知ろう学ぼう理解しようそういう姿勢を持たなければ、この話に共感することはできなかったと思います。恐らくあの場にいた学生のほとんどは、この話を聞いてもいなかったのではないかと。

何かが目の前にあっても、気づけなければ、それは手に入らない。
前々から言っていることではありますが、「世間の人々」は、なかなか自ら学ぼうとはしません。
「世間の人々」は他者志向的な言動しかしません。
大衆でいることは楽だと思います。皆に合わせて行動するのは、自分で考えて行動するよりもずっと楽です。ただ流されていればいいから。

ひとりひとりがそうやって、「社会」をつくっているわけで。
他者に無関心な人々が「社会」をつくっているから、「世間」はいつまで経っても弱者を蔑視し、強者のコミュニティを築くことをやめない。

いくら弱者に寄り添おうとする人が居ても、「世間」の強固な姿勢を崩せなければ、「社会」での弱者との共存はできないと思う。


前も書いたけど、障害者支援の人々の意識や考え方と「社会」ひいては「企業」とのそれがすり合わせられなければ、障害者の生きる場所はないままだと思う。
障害者の活用が「ボランティア」事業とみなされている限り、社会に障害者の居場所は作れない。

まあ、女性活用すらままならない社会に障害者活用なんて無理に決まっているが。
他国に比べて、すべてが遅れている。
先進的なことをやろうとする、他国の企業に追いつこうとする、そういう会社がいつまで経っても残念なのは、「社会」が遅れているからだと思う。

海外での仕事にわざわざ女性を連れていくのは、取引先には女性社員がいることが当たり前であって、男だけで行くと「遅れている」とみなされるからだ~みたいなことがどこかにがどこかに書かれていた。
(これも前書いた気がするけどまあいい)

日本は明らかに遅れている。
古いものを大切にするといえば聞こえはいいが、惰性でそのまま維持してきたという方が的を得ているのではないかと思うくらい、古い体制、風土が根付いている。
これも老害のせいといえる。

大体、中のことしか見えていないやつに任せちゃダメだろう。じじいがグローバル社会についてこられているとは思えない。
既得権益を固守しようとしているアホ共に期待はできない。

話は変わるが、うちの学部には、途上国支援を希望する人が非常に多い。この途上国と言う表現も差別的と言われてしまうが分かりやすいので使う。
途上国支援をする前に、日本をどうにかしようと思うべきだ。
闇の子供たちという映画を観てから、改めてアジア買春ツアーについて考えてみて欲しいものである。他国の子どもたちを救いたいなら、まずは日本の馬鹿な客どもをどうにかするべきだ。
日本人が買春ツアーなんぞにへいこら出かけなければ、ビジネス自体にダメージを与えられるはずだ、と、何となくではあるが想像はつく。
思慮が浅すぎる。

大学生にもなって、みたいなことを言っている「大人」を見かけるが、ほとんどの場合、大学生なんて思慮もない知識もないガキである。
もう少しまともな教育機関を作らなければどうにもならないと思う。

留年システムも必要だし、なんでもかんでも履修さえすればよい、習得は求めないなんていう宙ぶらりんな教育方法も変えていくべきなんだろう。

実際に自分が県内の大学生を見ていても、大学を卒業していいと思える人間なんてロクにいない。
大学に遊びに来ている、なんとなくの仲間を作りに来ているやつがほとんど。何かを学んだ、人間として成長した、そんな人間はほとんどいない。
なあなあのまま大学を卒業して、社会人になろうとしている。

あんなのが社会人になれるような世の中だから、、こうも「遅れている」のだろうなあ。

まあ、障害者の私はせいぜい隅っこの方で息を潜めていようと思う。


話はだいぶ脱線したが、自分の「正しさ」をすべてだと思っている、大衆の面を被っている水たまりたちには、太平洋でも目指してもらいたいものである。

大衆が「社会」を作っているのだから、こんな社会でも仕方が無いと諦めざるを得ないのだろうなぁ。

もっと豊かな人間になりたい なんて思うのは烏滸がましいことだろうし、少しでも賢明に生きることを目標にしよう。