poco a poco

中二から統合失調症を抱えて〇年目。

記憶障害

やはり家族はセーフティネット、みたいな考え方自体が私には受け入れがたいもので。

私は、モラハラ父からの言葉の暴力を受けながら育ちました。

「バカヤロー」「お前はバカか」「黙れ」「うるさい」「何バカなことを言っているんだ」「くだらない」

昔は、こういった言葉を誰もが幼少時代に聞いているものだと思っていました。父親というのはこういうことを口癖のように叫ぶ?ものだと思っていました。

私が攻撃的な言動に慣れ親しんでしまったのは、言うまでもなく父の影響です。

 

親の考え方や物言いって、子どもにそのままストレートに影響するじゃないですか。

低所得家庭において、親が勉強しないことを当たり前だと思っていれば、子どもは勉強する機会を与えられないので勉強できるようにはなりません。親と同じような低所得者になる道しか残されていないわけです。

そういった親のような第一次集団による「物事の考え方・社会のルール」等の社会化を子どもは体験するわけですから。

 

子どもの世界を作るのは間違いなく親です。家族です。

たしかに第二次集団=同輩集団に影響を受けることもありますが、やはり中学生くらいまでは親の影響が一番大きいと思います。

 

私は、親に「自分の考え」を言うことをしてきませんでした。父親に何かを言えばどうせ「バカヤロー」「黙れ」と返ってきて不快感倍増ですので。

自分が「ビョーキかもしれない」ことを口にすること自体が、弱みを示すことになると思っていました。

 

子どもながらに愛情や安心感を与えられている実感はありませんでした。いつも満たされない子どもでした。(目に見えるモノしか与えられない家なので

その分、いつも「承認欲求」が私の中で燻っていました。

だからこそ、「弱みを見せる」こと自体が、自己否定されかねない危険因子だと思ってました。

 

ビョーキになってから不登校になり、ひきこもるようになりました。

「なぜひきこもるのか」親も教員も聞いてきますが、私は弱みを見せようとしないので話は平行線を辿るだけでした。

とりあえずいじめが原因だ、ということで話は片付きました。

一人誰かしらが登校拒否になろうと学校としてはどうでもいいんですよね、私の場合は別にそれでよかったんですけど(いじめが原因というよりビョーキが原因だったので

 

始めは近くのクリニックに行きました。

医者からいろいろ尋ねられ、「自分が操られているような感じがする」等のいわゆる統失の初期症状そのものの諸症状を訴えました。

その頃のこともまったくといっていいほど覚えていないので、そうカルテに書いてあると言えばそれまでとしか言えません。

母はカルテの改ざんだとかなんとかこの間言っていましたがw

 

その医師が「気持ち悪い」見た目や言動をしていたのに加え、統失との診断ですから、母は「もうこのドクター信じられない」と通院を止めてしまいました。

モラハラ父は「どうなっているんだ」と病院に乗り込みました。

というよりたぶん怒鳴り込んだんだと思います。

いつも大体そんなんなんです。うちの父は。アスペなんで。

 

結果、もう通院するのやめてしまい、他の病院に行きました。一応その時は目がおかしいんだ見え方がおかしいんだ、という話をしましたが、「よくわからないが疲れているんだろう」くらいの診断でした。

 

もう変な医者しかいないし、その後大病院でも「よくわからないがとりあえず鬱じゃないのか」くらいの扱いだったので、通院がアホらしくなって止めました。

ずっと視線恐怖症・見え方がおかしい・幻聴・観察念慮・・・諸症状が出続けていました。

世界に対して漠然とした恐怖を抱き続けていました。

が、そんなことを母が理解するはずもなく、「ひきこもりはよくない外に出ろ」それくらいしか言いませんでした。

 

アホだと思います。

 

高校は定時制、単位制なので人が少ない授業を選んでいたものの・視線恐怖症で死んでました。

もう何が何でも大学に行く、それ以外考えない!と割り切ろうと努力していましたが・・・

 

高校時代も大学に入ってからも「ビョーキだから病院に行きたい」と何度も話をしましたが本当に一回もまともに受け取ってもらえたことがありません。

 

仕方がないので、諦めつつ「ビョーキの人間」をやっていたのですが

大学二年の時に愛犬が病気になってしまいすぐに亡くなったことをきっかけに、色々なことに自分ばかりが耐えることがバカらしくなり、ひきこもりました。

母は、将来どうするつもりなんだと文句を言いましたが、

私はビョーキになった中学二年の頃から、今後の人生がどうにもならないことはとっくにわかっていたので、どう生きたってどうにもならねーよと思っていました

 

ひきこもりを止めさせたい母は、カウンセリングに私を連れて行き、なんだかんだもめて

結果的にはじめて受診したクリニックに行き「統失ですよ」との診断を受け・・・となるわけですが。

 

子どもがビョーキなんだ、と言っているのに病院(精神科)に連れて行かないのは

子どものビョーキをどうにかしたいという気持ちよりも、精神科に子供を連れていくことに対する抵抗感が勝るということですよね~と。

 

うちの母は、親・妻として家事をする責任があると常日頃から言い続けているのですが、

それを聞くたびいつもビョーキの子どもを病院に連れて行き治そうと努力する責任はないのだろうかと聞き返したくなります。

20歳を過ぎているのに甘えるな、アダルトチルドレンか?みたいなことを言われるのですが

だとしたらそもそも、60歳も過ぎた夫に料理洗濯をやってやらなければならないこと自体が「甘え」そのものなのではないかと思います。

 

「自分だって大変だ」「うるさいもう黙ってくれ」それしか言わない母をみていると、私自身はいったい何なんだろうと思えてしまいます

 

愚痴が長くなってしまいました。。

私には記憶障害があります。

実はこれがなかなか厄介で、しかも人に言えないので困っています。

数日前・数か月前ましてや数年前のことなんか覚えていません。人の名前も関わらずにいるとすぐに忘れます。

幻聴に悩んでいて「もうしにたい」とずーっと言っていた時期があっても、数か月後には忘れてます。日記を見ると、「ああこのころ幻聴(らしきもの)が多くてしにたかったんだな」と思いますが、それまでです。

結局、私の場合は対話性幻聴なので、「そこらへんの人が悪口を言っている」「あの人とあの人が私のことを笑ってる」そういう認識しかできません。現実の声と幻聴の区別がつかないんですよね。

 

なので、その時は「ああもう私はあいつにもこいつにも悪く言われている」「生きている価値がないゴミクズだしにたい」と思っているだけです。

幻聴が多い=体調不良なんだ、という風には理解できません。残念なことに。

 

たとえば10月にインターンをやっていました。小さめの事業所で事務のお仕事を1か月ほどやらせてもらってました。

しょっちゅう、もう事業所の人ほとんどに嫌われていてああもうほんとにはやく1か月終わって欲しいと思っていましたが、

実際にその社員さんとお話していると、あれ別に嫌われてないぞ勘違いだったんだなーと思える、みたいなことをずっと繰り返していました。

その嫌われていてあーはやく終わって欲しいしにたい と思っていたことが日記に書かれていますが、1月の今振り返ろうとしてもよく思い出せません。

本当に、記憶がないんですよね。

 

だからこそ、生きている意味があるのかがよくわかりません。

どうせいいことがあっても悪いことがあっても忘れるのに、何のために生きているんだろう。って思ってしまいます。

というかロクでもないトラウマしか記憶に残らないのは何故なのか。。

 

日にち感覚がゼロなのは、本当に仕事をやる上で問題になってくるのでどうにかしたいところなんですが、こまめに行動を日記に書くしかできないのかなと思います。

 

さて、金曜日の面接に向けて準備したいと思いますが。。。志望動機=入社動機にはなりえないので、今回の場合は自分で「何をやりたいのか・何ができるのか」考えて話をしてみようかと思ってます。

 

全然関係ないですが、今日はジョンヒョンさんのBASEがついに我が家にいらっしゃいました~~本当にあなたが私の生きる糧ですありがとうございます!!

音楽がなきゃ私ほんとうに生きていけないのでね、是非とも2nd3rdと出してもらいたいです。。一生ジョンペンでいるからね。。

 

今日これからやる事

・面接の準備 ・レポートのテーマ考える、情報収集

 

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