poco a poco

中二から統合失調症を抱えて〇年目。

問レス感想と、意識の齟齬、他者理解について?

ドラマのタイトル略してみました。問レス、なんのことなのか良く分からないね。

あれからどーしても気になって一気に観ました。重くて、痛くて、観ていて辛くなるけど、でも何だかまた観たくなる内容でした。キャストが好みだからかな。
あさ美ちゃんがかわいい。二階堂さんは前々から好きなのですが、川奈さん役の人もなかなか…リアル過ぎて閉口しました。
何でこうもリアルなの?!と思っていたら、最高の離婚の人の作品なんだね。納得しました。

もうしょっぱなから、女装のゲイなハイジさん(最初ハンジさんかと思った)が出てきた時点で、もうこれは観るしかないと思いました。
あの人の存在があのメンバーをうまくまとめてるよね…。好き…。

さて、あさ美ちゃんに、モラハラ夫とのひっちゃもんだがあるのは知っていましたが、思いのほかモラハラ夫がバカで???って感じでした。
モラハラ夫のよくわからないところは、自分が働いて金を稼いでいるから優秀で、それに引き換え、妻は何もできない使えないバカだ、妻は夫に無償の愛を捧げ身を粉にして尽くさなきゃダメだだっていう考え方ですね。
自分はお金を稼いでいるから、主婦の妻より偉い、それはお金という見える報酬を獲得していることが評価に値する、というその考え方自体はわかるんですよ。
でもさ、なんでそこで、妻は夫に無償の愛なんて、見えもしない形もないものを求めるの?というか大の大人が靴下はかせてもらって恥ずかしくはないんだろうか???という疑問が湧く。
男性は介護士に面倒を見てもらうことに対しても、嫌悪感を示さないんですって。女性は、自分のことは自分でやりたいから、面倒を見てもらいたくないって思う傾向があるらしいんですが。
まあ、王様気分を味わいたいってことなんでしょうなあと。そう思うしかないですね。男は権力を欲してナンボだって言う話ですから。

まあその面倒を見てもらう云々はさておき、少なくともあのドラマの夫は、自分の母親のように、夫に無償の愛を捧げなきゃいけないって思ってるそうです。でもね、無償の愛って、無償でしょ、女がいくら私は夫に尽くしているって思ったとしても、夫が評価する権利を持ってるんですよ。夫が満足しなければ、女は夫に尽くすという妻の仕事を果たせていないってそう判断されてしまうわけじゃないですか。女は主体になりえない。受身の労働なんですよね。
これは感情労働の本を読んで学んだことです。ケアワークって、というか女性の仕事って、受身の労働なんだってこと。
まあそれ自体の問題は、主体の空洞化らしいんですが。それはさておき。

家事や育児介護がシャドウワークアンペイドワークだって言われているのに、そのことを知らないことも残念だし、(ホモソなんてそんなものか)
無償の愛なんて不確かなものを女性に求めている、もう、お伽噺信じてるオッサンほど痛々しいものはないなって思いました。観ていてほんとに辛い。

このミソジニー、ホモソ、男根中心主義がもうね…所狭しとびっちり詰め込まれているお話でした。
しかもそれは男たちだけの問題じゃなくて、女たち自身もそれを内面化しているのが前提なんだよね、この話。
うーわーーーー頭抱え込むしかないですよ。

でも、やっぱりキラキラ女子VS喪女のバトルはとても楽しかったです。来週はキラキラちゃんが仲間になるみたいなので、バトルもう終わりみたいですね。
まあいずれにせよ、面白かったことまとめてみます。

・肉じゃがが得意料理です。男に殴られるのは私が悪い教に入信している女子、に対して嫌悪感を抱く喪女
・男のやせろ、やらせろも笑って受け流す教習所を卒業して、免許証たくさん持ってます、と笑うキラキラちゃん
・女子力なんて男に都合のいい言葉では、女の力なんて測れないのよ、と諭すハイジさん

もうこの全国のキラキラに観てもらいたいこの流れ!!!!!!
私はね、キラキラちゃんキライじゃないです。だって、わかってるでしょ、男に好かれることが勝ちだっていうその考え方自体が私は嫌いだけど、でも、得意料理は~教を信じてはいないでしょ!きちんとそのことわかっていて、セクハラ笑って受け流せるだけの教習所も卒業してるって、笑って言えるだけの強かさを彼女は持ってるから、まだましだなあと思います。
世の中には、そのことすらわかっていない強かではない豆腐マインドなキラキラちゃんたくさんいるじゃないですか。私はそういう女子が一番嫌いなので。
要するに、セクハラをセクハラだと認識して笑って受け流すか、セクハラだろうがなんだろうが男の人のすることは許しなさい我慢しなさいっていう親世代かの違いなのかなって。
なんだろう、何がいいたいのか自分でも良く分からないのですが、ただひたすらそれに耐えるっていうのは何か違う気がするんですよね。それは強かとは違うと思ってます。

よくわからないね!

いずれにせよ、女子力って男に都合のいい言葉なんですよ。男に都合のいい女になったら、結婚は出来るかもしれないけど、結婚してからの人生は苦労すると思う。とくに母親に必要なのは、生きる力であって、女子力じゃないと思っているので。
まあ、これは私独自の偏った考え方も含まれているので、とやかく書きませんが。女子力だけじゃ世の中渡っていけないってことを知っておくべきだと思います。

誰にでもいい顔をして、セクハラを笑って受け流して、奢ってもらえるならホイホイ着いていく。そんなキラキラちゃんがどんな目に遭うのか。そんな大した男と付き合ってきていない事からもおわかりかもしれませんが、女子力高いはずなのにあんまり幸せそうな恋愛ができず、よくわからん男がストーカーになり酷い目に遭う。そんなもんな気がします。
カノジョの場合は、頭の回転が速く、強かさという武器を持っているので、もう少し上手く生きれると思うんですがね。
そうも上手く生きることができない女子たくさんいるので、そういう子達にこのドラマを観てもらいたいと思いました。そういう子達がこれを観ても何かを得るかどうかはわかりませんが…。

あとは緑の件がやはり面白かったです。

・緑という残っている色を選ぶキラキラちゃんと喪女
・赤やピンクを欲しいって言える人に対して、人生何回目?!
・女は男に選ばれることでしか勝てない
・女の敵は女

このマウンティングですよね。
ほかの方も緑を選ぶっていう女子の心理がよくわかると言っているようですね。やっぱりあるのね。

私は、セーラームーン世代じゃなくおジャ魔女プリキュア世代だったので、緑って選択をする人はあまりいませんでした。
この緑を選択するっていうのは、女であることの回避行動なんですよね。女であることを選ばない、女らしい選択をしないっていう。
私の周りでは、赤やピンクを選んだだけで、もうぶりっこ!と非難されるような風潮がありました。キティもミニーも選んだりなんかしたら、もうぶりっこ!ですよ。
男に媚を売ること自体がタブーだったので、男好きなんてレッテルを貼られたらもう非難の的。
おかげさまで、女の子たち、みんな挙って水色が好きでした。水色なら誰からもぶりっこ!って非難されない安全な色だったので。
女の子たちの持ち物も、キティやミニーではなく、プーさんやドナルド!と徹底してました。
私は水色がどうしても好かなかったので、黄色かオレンジを選んで、プーさんが大好きってことにしてました。可愛いと思ってもディズニープリンセスのピンクの小物なんて選ばなかったです。横並びの世界でした。出る杭(赤やピンク)は打たれる。
中学に入ると、状況は一変、別に好きならピンクや赤を選んでもいいことになりました。というよりミニーやキティを選ぶことが正しいという文化があって(スクールカーストの一部)。
そんな中、安全な黄色どころか、緑を選ぶ女子に出会いました。すごく衝撃を受けました。なんでそんな可愛くない色を選ぶのか、と。
彼女は見事に、女であることを回避しようとする子でした。恋バナを避け、少しでもそういう方向に話がいけば、必死で話題を変えようとする。

かといって、喪女ちゃんのように勉強は選びませんでした。そしてオタク化が進んでいった…。

この緑の回避も含めて、オタク独特の考え方について書かれた記事も読みました。
テーマは、腐女子と夢豚について。
腐女子は、男同士の関係を楽しんでいて、そこに自分を介在させないってことが重要なんですよね。キャラ(ないしはアイドル)を愛でることはあっても、キャラと自分の恋愛はご法度なんですよ。キャラに抱かれたい、はナシ。
キャラ(アイドル)と恋愛したいような人は、夢豚と蔑まれる。
でも、夢豚にも二種類あって、自分を主人公にする、つまり自分とキャラとの恋愛を楽しむ人と、
自分ではない架空の存在とキャラとの恋愛物語を楽しむ人といる。って話がありました。

私は後者です。だから前者の自分とキャラとの恋愛を楽しむ人に対しては、えっなんでそんなことできるの????って疑問が湧きます。
自分みたいな生身の人間を物語の主人公にはできないんですよ、
多分それが緑を選ぶ人達の共通心理だと思っているんですが(だが喪女ちゃんはちがった)

ほんとにね、夢豚に対する理解が進んでもらいたいと切に願っているんですが、夢豚には二種類いて、架空の存在とキャラとの恋愛物語を楽しむ人もいるんですよ。しかも結構多い。
超有名どころの人気サイトって大体キャラ立ちしているヒロインのいる長編を持ってるんですよね。キャラ立ちしすぎていて、もはや自分を投影できない。
乙女ゲーのヒロインを愛でる人の心理と同じで、ヒロインを一人のキャラとして好むファンって結構多いんですよ。
そういう人も前者の自己投影型と一緒くたにされて夢豚って称されることに対する違和感はあります。

話がややこしくなってきた!
まあ、そういう人達は、緑を選ぶ人の心理をよく理解しているのではないかと思いますよ?(これが結論?)

問題はね、喪女ちゃんは、違うようだってことでして。
びっくりするくらい、男に愛されることで勝ちたい(けどできない)と思っている女子のようでした。
本当は男ウケのいい赤やピンクを選びたい、男に選ばれたいと思ってる!
びっくりしました。こりゃあキラキラちゃんと仲良くなれるわ。

それにしても二階堂さんはまだ二十歳?未成年?のはずなのに、セーラームーンの話をしているところが面白いと思いました。
あと、セーラームーンって黒の人いるよね?時の番人の人、ちびうさと仲良くなる人、あの人って黒じゃないの?あれ?紫??とずっとあの場面で考えてました(笑)



さて、問レスに関してはそんな感じで。
また別のことについても書こうかと思います。
この間読み終わった本は学歴と階層についてのものでしたが、それに
教育現場では絶対主義による振り落としを嫌い、相対主義を採用している。おかげで、修得をしていない能力が身に付いていない学生が、社会に出ていると。
企業社会は絶対主義、能力の有無を評価するわけなので、教育現場との意識のズレが生じ続けていると。
まあ要するに、就活で人格否定された!自分は何もない人間だ!うわーん!と壁にぶち当たるわけですね。
それは言うまでもなく、大学生活の中で、人に評価されるという経験をしてきてないからです。
社会に出て初めて絶対主義による振り落としに直面するんですよね。企業はボランティアで人を雇うわけじゃない。人財に対する投資しかしないでしょ。

これって、障害者就労でもよくある話ですよね。
障害者就労支援施設とか、病院では相対評価しかしない。企業には社会的責任があるし、障害者も雇う義務があるってそういう考え方が根底にある。だから、この人はこれぐらい働ける、会社でも雇ってもらえるよって希望的観測みたいなことを言います。
企業社会はそう甘くはない。ボランティアではないから、同情はするけど、人財以外にお金は払いたくない。ってまあそういいますよね。
質問サイトなんか見るとよくあるやりとりです。

医者に企業社会について知る努力を求めたって仕方ないでしょうから、やはり就労支援の方にそう求めていく他ないでしょうね。
自分が使える人間かどうか、って客観的な判断は必要ですよ。
ただその判断を他者に委ねる場合に、その他者として支援施設を選択できないところが問題ですよね。支援施設では大した仕事をやらないから、職業能力は測れないっていうひとも見ます。
本来、キャリア支援を行う側の人間は、企業社会の現状を知っておかなければならないのに、ろくにわかってる人がいないんですかね。
私も地方にいて、なんでこうも物事をわかっている人がいないんだろうって思うのですが、それでも生きてこれる人がいるんですよね。

少なくともその教育現場や就労支援現場と企業社会の考え方等のズレを認識して、どうにかそれを縮小していく手立てを考えてもらいたいものですね。

健常者であろうが障害者であろうが、相対主義のぬるま湯の中で生きてきて、自分には何ができるのか、何が求められているのか分かっている人は少ないのが現実ですから。

お役所ではそれなりに安定したお給料をもらっている人が沢山いる割に、社会の実情を理解している人がいないようなので、どこから社会を変えていったらいいのかわからないですね。

社会学を専攻してきた身なのですぐそういう発想に行き着くのですが、まあこんな精神障害者ごときがそんなことをいっても、っていうのはね。

あ、あと同性愛者の人が、マジョリティは、マジョリティの分かるようにマイノリティに対する差別問題を説明し、理解させなければならない云々みたいなことを書かれた記事を読みました。
マジョリティに理解をしてもらうために、マイノリティが差別問題についての声を出したりするわけではない、みたいなお話でしたよね?
それはすごくよくわかる。
マジョリティは、自分たちがマイノリティについて何もわからないのは当然のことで、マイノリティが自分たちに分かるように説明をするのも当然だみたいな考え方、よく遭遇します。謎の上から目線。

あれ、何が言いたかったんだっけ。
まあいいや。私は論文で、トランスジェンダーは社会に同化するよう求められるのは間違っているって主張をしました。多文化主義の国ではよくあるテーマですね。日本でも、この多文化主義についてきちんと学び、考える必要があると思います、
とあるブロガーさんがバベルの学校って映画を紹介していたのですが、こういう多文化主義の国の実態を日本人は知るべきなのに、なんで他国の文化慣習教育?になっちゃうんだろう。

他者理解の精神が必要ですよね、いずれにせよ。