poco a poco

中二から統合失調症を抱えて〇年目。

『統合失調症とのつきあい方』を読み、精神障害とのつきあい方について考えた。

題名のとおり、『統合失調症とのつきあい方』を読みながら、精神障害とどのように折り合いをつけて生活していけばいいのか私なりに考えてみました。

 

統合失調症とのつきあい方―闘わないことのすすめ

統合失調症とのつきあい方―闘わないことのすすめ

 

ざっくりまとめてみました ↓ 

・心の健康=問題処理、対処能力の内容・程度

・SOSの能力が非常に重要

 精神障害者の社会生活は非常に孤立的になりがちであり、 なんでもかんでも自立しなければ!!と思いがち。

そのため、SOSを他人に発信する能力が大事になってくる。具体的には、悩みを他人に相談するといった「悩みの外在化・相対化」をすべきである。

 

・理想のもつ有害性

 すべての精神疾患は「理想と現実のズレ」に落胆することから起こる。理想を高く設定しすぎなのである。「低空飛行」が重要。

そのため、多様な価値観や、状況に応じた柔軟な切り替えが必要となってくる。

 

・「社会的・人間的よりどころ」が乏しいと、身の丈を越えた高い理想を持ち続けてしまう。これは悪循環である。

高い理想を段々と身の丈に合わせて修正していくことが必要。

 

・「精神障害」とは、①精神的エネルギーの低下、②認知や統合機能など自我機能の障害、③感情障害や「人格変化」

とくに「自我機能」とは、

行動、価値の妥当性の検討、欲求コントロール、対人関係、物事を考える過程、適当的退行(適度な”あそび”)、防衛機能、フィルター(不要な情報のカット)、自律性保つ、統合機能などの能力を指しているそうです。

 

・「障害」は「症状」とイコールではない。症状の部分は、環境やはたらきかけによって変えることができる。

 

・国内的にも国際的にも、精神障害をもつ人の80%前後が失業状態(この本は2007年に書かれたものです)

 

・病院で患者と呼ばれていても、地域社会に帰れば「生活者」。病気はその人の属性の一つであり、すべてではない。

病状のコントロールは人間らしい生活を実現するための手段であり、目的ではない。

 

リハビリテーションの二つの目標

①個人の能力の改善、または低下の予防(個人へのアプローチ)

②生活の質を高めるための社会的地域的支援システムの整備充実(環境へのアプローチ)

 

個人の能力(X)+環境の充実(Y)=10

環境とは、しごと・仲間・住居などを指す。

環境が充実していれば、個人能力は低くても生活していくことができるが、環境が充実していなければ個人能力はかなり高くしなければならない。

 

精神障害の受容には自己受容よりも、社会的受容が重要となる。また、社会的受容は環境条件とイコールである。

 

・自分を世間が受け止めてくれて、希望をもって生きられる支えがみえたとき、障害と一緒に生きることを選べる。

・病気や障害の診断は、始まり。障害をもって生きることを無理に選択させられたのと同じ。障害者であるかどうかを決めるのは自分。

 

☆症状をセルフコントロールする力を身につける

☆地域で生きていくための技術を身につける

 症状よりも、生活能力。

 闘わない。成り行き任せ、開き直り。

 マイペースを大切に・・・自分の安定、自衛、休息

 善悪でなく損得で考える。(世の中の価値観なんてくそくらえ)

 

精神障害と折り合いをつけて生活するには・・・

 人間的な誇り、自己に対する価値観、達成感や周囲・仲間からの受容、学習する機会、社会参加、人格的成長、成功体験 etc. が重要となってくる。

 

 

まあ、これらはあくまで私が読んでみて「おお、これはメモっておこう」と思ったポイントですので、ね。

 

私は病識を持ったのはつい最近のことであって、つい2~3年ほど前のことですから、「自分が精神障害者だ」と思って生きてきたわけではありません。

「目がおかしい」「世界がおかしい」と思って生きてはきたもののね・・

 

そのため、大学1・2年の頃はもっと今より統合能力が低かったです。高校の時は言うまでもなく。

どうやって「ふつう」を装えるくらいに回復してきたかといえば、「成功体験をつくる」ことでです。

自己肯定感が低く、「自分は精神障害者」「人以下のごみくず」と思っていた頃には、「自分は何もできない」と思っていたし、本当に何にもできませんでした。

そもそも人の中で息をひそめて存在していること自体が苦痛でどうしようもなかったのでね。

 

まずは情報収集だと思い、精神障碍者の就労についてはできる限り多くの情報をと思って行動していました。

最初は「ふつう」の就活というのもしていたので、いわゆる「社会人基礎力」とはなんぞや、と色々調べたりもしました。

どうしたら「他人(=社会)に評価されるのか、=人財になりうるのか」ということも考えたり調べたりしました。

 

・サークルや部活など社会的活動をしている=集団行動に慣れているかどうか、行動的な学生かどうか

・専門性はあるか 学部での勉強はきちんとやってきているか

・どのようなアルバイトをしてきているか お金を稼ぐ、働くということに対する意識を見ている部分もあるかと思います

 

あとは基本的なコミュ力でしょうねー。これはもう賢いかどうか、とか、適応力はあるかどうか、とか企業の求める人材像とやらに合っているかどうか・・・でしょう。

 

就活経験者のいえることなんてそんなもんです!

自己アピールはもう個人の能力なので、得意不得意は自分でよくわかっているでしょうし、情報収集とか「どれだけ就活に対してエネルギーを費やしているか=行動しているか」はもうね、他の人見ていればわかることでしょうから。

 

ふつうの就活であれば、「みんなに合わせて」そんなもんでいいだろうと思ってます。まあ大体みんなと同じような会社には勤められるのではないでしょうか。それでいいのならいいでしょう。

 

でもね、精神障害はまず「自分がここで生きていけるのか?」という不安があるわけですから。「会社がブラックだったらどうしよう???」そんなレベルじゃないわけですよ。

先ず、①会社はストレス脆弱性があるような人はいらない メンヘラは切り捨て御免の世界ですから。

精神障害者としても「メンヘラ切り捨て御免」の会社で会社員やるのはしんどい。

お互いに嬉しくないですよね。

私は、アルバイトをしながら、小さめな事務所さんのところにインターンに行ってから、「ぜったいに働きやすい所!!!!!!」と思うようになりました。

メンヘラ隠すのきついですよ!!!!!!無理!!!!

調子悪くなって精神科いけないのも嫌だし、ちょっと薬とか飲んでたら「え、なに鬱なの?メンヘラ??」とか後ろ指さされるのも嫌です。

だから、働きやすいところ、オープンにして働けるところを選びました。

 

もちろんお給料は数万下がります。

他の方は腫れ物扱いするぐらいが関の山で、「配慮」というのは口だけだと思います。

でもね、障害隠して、しんどくなって後から体調崩して「ごめんなさいメンヘラなんです」って言って責められるよりかは、最初から「私メンヘラなんでねー、一応よろしくです」って言えるようなところの方が私は気楽でいいなと思っているわけです。

健常者しかいないところでメンヘラやるほど私強心臓じゃないんでね。

逃げ道は作っておいた方が気が楽なので。

 

就職課からはごちゃごちゃ言われました。あちらは「就職率」を出すのがお仕事ですから。

でもね、就社して人生終わりじゃないんですよ。就社はゴールじゃなくてスタートラインなんでね。そこから、自分の人生歩いていくことを考えてみれば。

自分の人生は親のためのものでも外聞気にする必要のあるものでもなし。

自分のための人生なんで、自分がしんどすぎない・自分で自分を追い詰めることのないような緩やかに険しい道を選ぶ方がいいんでないかなと思ってます。

健常者にとっての緩い坂道は、自分にとっては氷山の登山道だと思っているので。

健常者にとってのなだらか・むしろ平坦な道くらいでちょうどいいと思ってます。

 

少しでも職歴を重ねて、「自分は精神障害を抱えながらも○年働いたぞ!」と達成感、社会体験もとい「成功体験」を武器に、クローズドで働くなりなんなり好きな道を歩んでいければいいなと思っているわけです。

 

別に今の会社に骨を埋めるつもりで入ったわけではないので。

でも、「やっぱここ無理ー!もうやめる!!!!!」と一年二年で辞めるよりは、いい選択なのではないかと思っています。まあ耐えられるなら話は別なんだろうがね。

 

今のお仕事は自分のやりたいこととは違うので、もう少し社会的なことをやれたらなあと思ってはいるのですが。NPOってお金はいらないじゃないですか。どうしようね。

いずれにせよ、熟考に熟考を重ねて、カードを大切にしてもらいたいと思います。ポコポコ仕事を止めちゃうとオープンだろうがクローズだろうがまずいのでね。

はい。じゃあマッハでお風呂入って寝ます。ブログってほんと時間かかるね。